この年は、クラス替えにより、ムト、芋兄、ナベが一組に。仕事人が三組に。遊び人、欣爺、ジョン、エンジョーが六組になった。
この年、遊び人は行灯制作に携わるのを止めようかと思っていた。一組に勝てる気がしなかったのだ。「欣爺は行灯制作を任せてもいいぐらいに充分に育ったし、受験のため勉強しよう」と、自分を無理やり納得させていた。そんな俺を動かしたのは芋兄の言葉だった。「お前はなんだかんだ言って行灯を作らずにはいられない男だ」と。この言葉で、やる気になった。俺をやる気にさせてしまったことを後悔させてやろうと思った。『なにがなんでも大賞』だった。
そのため、多くの人を傷つけすぎた。『俺は行灯の負の部分を引き受けて、汚れ役に徹しよう。きれいな部分は欣爺にやってもらおう。欣爺は行灯職人としても充分にそだったし、みんなに好かれるだろうから、大丈夫』と自分を正当化し、多くの人を傷つけすぎた。もう少しで、今こうして語り合える仲間たちをも失ってしまうところだった。
その最たるものが芋兄と生涯最初で最後(?)の大喧嘩をしたことだった。
進路のしおりにもかいたが、我が行灯制作におけるモットーは『ルールを破って賞をとってうれしいか!?』である。そんななか、ムトが作業時間外に作業をしてたという情報が耳に入る。心の中で、一組には勝てないと思ってた俺は、玉ちゃんに食ってかかった。『時間外作業は減点じゃねぇーのか?なんで減点しねーのよ!!減点できねぇんだったらそんなルールなくしちまえよ!!正直者が馬鹿をみてんだぞ!!』と暴言を吐きまくった。そう、俺は減点でもいいから、勝ちたかったし、そうじゃないと勝てないことも知っていた。そこにやってきた芋兄に『俺は絶対に認めないからな!!!』と暴言を吐く。実際、賞に入ったクラスで夜間作業を行って、先生に見つかりながらも、後日呼ばれた際にシラを切りとおし、減点を免れたクラスもあるようだが、俺は今でもそんな行灯は認めない。
次の日は、非常に気まずかった。だが、その次の日は普通に一緒にいたし、俺の婆さんの家で、一夜をともに過ごしたりもした。このとき俺がどんなにほっとしていたか、奴は知らない。
まぁ、このとき奴がどう思っていたのかは、卒業式の夜に聞いたし。
で、結局大賞は一組がとって、我が六組は金賞だった。それでも大満足だった。奴との戦いの後、『なにがなんでも大賞』という気持ちは薄れていたようだ。奴らが大賞を取り、素直に抱き合うことができて本当に良かった。だがあんな名シーンを写真におさめてないとは写真屋は何をやってんだか。
最後に。これはあくまで遊び人個人の意見ですから抗議等しないように(笑)