プロジェクトA

プロジェクトA〜挑戦者たち〜

行灯にかけた熱い魂


第一章



 1998年札幌北高、一年八組。彼らはまだ、自分たちが強く、強く、のめりこむことになるものについてなど知りはしなかった。夏が近づき、そのことが話題に上り始めても、ただ、なんとなく、周囲の流れの中にいるだけで、のちに見られるように、その先頭に立つということはなかった。彼ら自身、それぞれ近しいわけでもなかったし、彼らを否応なく結びつけるものもなかった。

彼らがこの、行灯の魅力を意識したのは、その制作を通じてであることは疑いようもないが、あるいは、その夏が過ぎてしまってから初めて、自分の中に、明確に見出されたものであったのかもしれない。



 誰も行灯を作ったことはなかったし、誰も行灯の出来上がりをはっきりと意識できなかった。まして、誰も、その年の行灯がもたらすものなどは知りもしなかった。

誰が言い出したのか、題材が決まった。目指すところはもちろん、いや、とりあえずであろうか、金賞であった。

それぞれの分業、用意する道具、必要な材料の本数、作業の予定、すべてが手探りであった。

木材が届き、作業が開始された。工具を使い慣れない者もいた。自信のないままに、長さを測り、のこぎりを入れた。夏休み前の作業場は常に人であふれていた。

釘を打ち、鎹で留め、補助がつけられ、土台が完成した。作業は順調だった。

夏休みに入り、いつも作業に来る者、たまに顔を出す者、まったく来ない者、それぞれが決まりだした。それでも作業参加者の数は多かった。作業と言ってしまうのは決して正しくはないかもしれない。作業場は半ば溜まり場であった。トランプは、必須だった。



 二人の男が、テントを作っていた。一人は、周囲に、彼がテントを作ることを、なるほどと思わせる、そんな雰囲気を持つ男だった。ただ、彼を少しでも知っている人間ならば、彼に向いてるのは作ることよりも壊すことなのではないかと考えるだろう。そしてさらによく知れば、彼がやはり作り手であることがわかるのである。

もう一人は、外見からはそうとは思われなかったが、卓球部であった。でも、そんなことは彼にとってはどうでもよかった。卓球に行くぐらいなら、彼はテントを作った。彼は一見冷静で、感情を抑える術に長けているように見えるが、誰でもすぐに、それが一時的な読み違いであったと知る、そんな男だった。

この遊び人、芋兄の二人の男は、のちに見られる圧倒的な関係を築きつつあった。彼らは互いに刺激しあうことが出来た。彼らが作り上げたテントは皆が自信を持って見上げられる、そんなものであった。



 初めてであり、しかも、設計も不十分ながら、針金作業が進められていった。そこに常に加わり、力を見せたのは欣爺であった。

彼が針金に力を発揮することは、おそらく誰の目にも意外であったろう。彼は器用というには程遠く見えたし、几帳面さ、あるいは神経質さと言われるものなどとはかけ離れているように見えた。しかし、事実、彼は器用であったし、何より根気強かった。

物作りにおいて根気、集中力は何よりも重要な働きをする。炎天の下、欣爺は着々と行灯を作り上げていった。行灯は次第に形をなし、しかも、その作業は他の一年と比べて圧倒的に早く、正確であった。そのことは彼らに自信を持たせたし、上級生すら彼らの行灯をほめていった。



 電飾を行ったのも、遊び人と芋兄であった。電球をつけ、電線でつなぐ。彼らはそれをそつなく、確実に、しかも早くこなしていく。

紙張りの準備が整い、一部、また一部と針金の隙間が埋められていく。



 夏休みが終わると、部活に参加していた者たちが作業に参加することとなった。

弓道部であったムトが加わった。彼は緻密さと、正確さをその人のよさそうな目の奥に隠し持っていた。情熱も、思慮深さも、隠すことが出来た。それは今まで作業してきた男たちに確かに欠けている部分だった。彼の参加は、行灯に新たな要素をもたらした。彼は、行灯の精度を高めた。

そして、仕事人が加わった。彼には自信があった。彼は自分が、どの程度であるかはさておき、器用であると信じていた。そして彼はわがままで、好き勝手にやることが好きだった。その彼の性質は、彼にその行灯を物足りなく感じさせた。

確かにその行灯の後部には、何もなく、もったいなく感じられる空間があったし、後ろから見ると、いくらか貧素であった。

仕事人は考えた。衣を作り、半分はだけているようにすれば、見栄えもするし、空間を埋めることが出来るのでは、と。しかし、彼はその具体的イメージを誰にも伝えることなく、ただ、後ろがさびしいから衣をつけるぞ、とだけ言い、果たして誰がそれを許可したのであろうか、彼は一人で作業を開始した。



 仕事人の勝手な思いつきも何とか形をなした。彼のわがままを、皆、受け入れ、色塗りも追加された。雨の中、遊び人と芋兄は遠くまでバッテリーを探しに自転車をこいだ。硫酸にまみれ、咳き込みながら、遊び人はバッテリーを充電した。彼らがクラスの女子と対立したこともあった。

雨の朝早く、テントの屋根には水がたまっていた。皆で協力し、何とか水を押し出した。それでも、紙を守るために、テントの上にシートを二重に張るという方法をとり、何とか雨がたまるのを防ぐ有様だった。

ほかのクラスの崩壊寸前のテントを何とか救おうとしたこともあった。

紙張りがひと段落し、バッテリーが組み込まれた。夜七時過ぎ、薄暗くなったテントの中、初めて行灯が点灯された。

誰もが一瞬息を飲む。テントの中で光り輝く行灯。誰もがはじめて目にする光景。自分たちのなしてきた作業が、形をなし、しかも、美しさを備えている、そう確信させた。



 雨が降り続け、行灯行列は延期になった。その間にも新たなものが付け加えられていった。はじめに描かれていたよりもずっと豪華な行灯になった。

全行が終わり、学プロも終わった。その間も雨はやまず、結局、行灯行列は月曜の夜となった。準備は完璧だっし、自信もあった。

行列が出発し、ルートをたどっていく。街路には大勢の観衆。声を張り上げ、盛り上げる。予想以上に重く、疲労がたまる。やがて審査員席が近づき、行灯が点灯される。クラスのみんなが歓声を上げ、歩道からも声援が飛ぶ。この上ない瞬間である。

疲労もピークに達したころ、ようやく学校が見えてくる。最後の力と声を振り絞る。ぐったりしながらもグラウンドに到着し、行灯を下ろす。誰からともなく、歓声が上がる。



 各賞の発表の瞬間。もはや、確信に近いものがあった。ユーモア賞、銅賞、銀賞と発表されていく。一年八組と、名を呼ばれないことが、ますます確信を強める。

金賞…一年八組。その声とともに、わぁっ、っと皆立ち上がる。賞状が授与される。

二年、三年と各賞が発表されていく。それぞれがそれぞれの方法で喜びを表現する。ついに、大賞の発表となった。その場に居合わせた誰もが納得して、ひとつの作品を思い描いていた。

圧倒的な作りと迫力、誰もが確信を持つほどの美しさを兼ね備えた行灯。彼らの目に、そして心の奥深いところに、無意識にしっかりと焼きついたそれは、のちの彼らに大きな影響を持つこととなるのである。



 興奮冷めやまぬまま、クラスへと引き返す。口にするのは歓喜、それだけである。それでもやはり、疲労を隠すことは出来なかった。歓喜と興奮に包まれた一日が終わった。

その一日が残したものは、心地よい疲労と、すべての気力を使い果たし、虚ろな目をした仕事人だけのように思われた。



 行灯の解体が行われた。彼らは黙々とそれを行った。少し、寂しかった。







第二章

 夏が終わり、行灯が話題に上ることもなくなった。誰もが、それを忘れてしまったかのように、日々を送っていた。

雪が降り、年が明け、春が近づいた。彼らはすでに強烈な力で結び付けられていた。それでも、当然、彼らは分かれることとなった。二年生となり、芋兄、欣爺、ムトは四組に、遊び人、仕事人は十組になった。誰もが、ふと、夏のことを考えた。



 1999年、その夏の始まりは、早かった。彼らはすでに去年の熱を思い起こしていた。時間の経過は、彼らのうちで、その情熱を静かに、そして確実により大きなものとしていた。彼らは部活もやめていた。そんなものは、彼らにとっては邪魔なだけであった。

互いに互いを牽制し、何とかして相手に打ち勝とうと考えていた。早い段階から、水面下で考えが交わされ、何を作るかが決められていった。彼らは先導者になっていた。



 木材が届き、一斉に作業が開始された。すでに計画はたてられており、それに従えばよかった。皆が、何をなすべきかを知っていた。

あっという間に土台が作られ、テントが建てられた。土台は完璧、テントにも水がたまる余地はなかった。

夏休みに入っても、彼らは常にテントにいた。昼飯は、いっしょに食べた。ローソンのカップラーメンは、一通り制覇した。栄養ドリンクすら消費された。



 十組のテントには、常に遊び人と仕事人がいた。他に人がいることは少なかったが、それでもそれは彼らにとってはさして重大なことではなかった。あるとき、仕事人が五日ほどテントを空けることになった。遊び人が、一人残された。それでも、彼は黙々と作業を続けた。暑さと孤独が遊び人を支配した。音楽をかけて、その寂しさに打ち勝とうとした。つらい日々が過ぎ、仕事人が戻ってきた。驚くべき速度で、作業が進展していた。

四組のテントには、常に多くの人がいた。しかも、彼らはことごとく、技術者であった。芋兄も、欣爺も、ムトも、さらには他の多くの男たちも、皆が皆、それぞれの力を発揮していく。丁寧に、確実に、針金が完成していった。

確かに十組の針金には四組ほどの精密さはなかった。それは彼ら二名の性質によるものであったかもしれない。だが、それでも、速度でも、完成度でも、十分に張り合えるものがあった。



 十組の行灯には切り札があった。その行灯の剣にはフラッシュが仕込まれていた。勝負の行方は紙一重だった。夏休みも終わりに差し掛かり、紙張りが始まった。遊び人と仕事人は四組の紙を見た。彼らは焦りを感じた。自分たちのクラスより、確かに質がいい。

彼ら二人は相談した。何とかして金賞をとりたい、あいつらに勝ちたい。ここで、差がついてしまうかもしれない。

この時期に、クラスの女子に色塗りの質について言うのは、まず間違いなく、摩擦を生じさせることである。しかも、言うからには自然ときつい言葉を伴わなければならない。そうしないで、何を伝えられるのか。だが、きつい言葉が必ずしも事態を好転させるとは限らない。事態が悪化することも十分考えられる。どうする、言うべきか。言うのならば、誰が、どのように、どれほど言えばいいのか。あるいは、言わないべきか。妥協?そのことが、ふと頭をよぎる。

遊び人と仕事人の間には、はじめから、妥協だけはするなという共通の、しかも明確に言葉として発せられていた意識があった。だがそれはもちろん、彼ら二人の間のことである。行灯に対する意識は人それぞれである。彼らと同じ意識、妥協を許さない精神をクラスの女子が持っており、厳しい言葉を持って彼女たちを納得させることなど、出来ないように思われた。

そんな相手に対して、しかもこの段階において、リスクを犯してまで、苦言を呈するべきであるのか。ここで何も言わないことは、果たして妥協であるのか。



 仕事人には、そんなことは言えなかった。言うだけの度胸がなかった。お前は責任者だろ?ビシッと言ってやれ。遊び人に言った。

遊び人が言った。俺が言ってきてやる。彼は、一人教室へ向かった。

しばらくし、遊び人がテントへと帰ってきた。なんとも読めない表情。一喝。それが、遊び人のもたらした結果である。



 夏休みがあけ、朝作業が開始された。早朝作業、深夜作業、そんなものは行わない。必要なかった。

朝は、ラジオ体操から始まった。グラウンドの中心にラジオを置き、みんなが輪になった。クラスも、学年すらも関係なかった。皆が、そのときだけは、作業を中断し、参加した。次第に疲労がたまる中、朝早くに毎日来ることは難しかった。それでも、日が進むに連れ、参加者数は増えていった。



 四組の行灯は、確実に完成に近づいていった。圧倒的な早さである。電飾も問題なく、バッテリーもセットされていた。紙張りも順調に進展していた。だが、誤算があった。彼らの作業は、早く、正確すぎた。

ある日、四組の行灯が、どこかおかしいことに気がついた。行灯の前の部分に、ボンドが塗りつけられていた。不安になり、電気をつけてみる。つかない、いや違う、すでに電源が入れられていた。すでにバッテリーは上がってしまい、使い物にならなかった。

明らかな妨害。一体誰が。芋兄の頭にふと、ある考えがよぎる。しかし、すぐにその考えを打ち消す。

遊び人には、それが自分の仕業ではないと否定できるだけの証拠はなかった。それでも、誰も彼を疑いはしなかった。

彼らの間には強い信頼関係があった。敵であっても、同志であった。理不尽な妨害に、誰もが腹を立てた。



 十組の行灯に、遅れが目立ってきた。仕事人は、独善的だった。彼は紙張りのことまで考えて、針金を作れなかった。それが今になって影響を持ちだした。行列当日、クラス総動員で、やっと紙張りが完成した。それも出発直前であった。

そしてひとつ、不安があった。誰も、未だに行灯が完全に光ったところを見ていなかった。フラッシュがあだとなった。グラウンドに並べられても、行灯に下からもぐりこんでの配線、電飾が続いた。

写真撮影が始まっても、遊び人は充電したバッテリーを運ぶのに奔走していた。自転車のかごにバッテリーを詰め、全力でこいだ。途中で転び、かごが壊れ、吹っ飛んだ。それでも、自転車をこぎ続けた。



 芋兄、欣爺、ムトが現われた。彼らは四か十だといった。誰の目にもそう映った。そう信じたかった。



 行列が出発した。それでも十組の配電は完了していなかった。運びながら、完成させるしかなかった。何とかして、審査員席に着くまでに間に合わせなければならない。

もはや遊び人、仕事人に出来ることはひたすらに声を張り上げることだけであった。声を張り上げ、何とかして不安を払いのけるのであった。何とか、何とかついてくれ。

審査員席が過ぎた。未だつかない行灯に、誰もが落胆した。それでも、ひたすらに声を上げた。認めない、出来ることをやってやる。



 学校へとたどり着き、行灯が置かれる。彼らは、それでも、という考えを持っていた。光らないからどうした。見ろ、この行灯を。

審査結果の発表が行われた。一年の各賞が発表され、二年の発表となった。

銅賞が発表される。違う、これが何を意味するのか読みきれずに、ただ淡い期待を抱き続ける。そして、銀賞…違う、やはりか、予想はしていたものの、それでもその結果は遊び人、仕事人を強かに打ちつける。

金賞、二年四組。その発表とともに、わぁっと歓声が上がる。芋兄、ムトが壇上に上がり、満面の笑みで賞状を受け取る。

火文字が始まり、花火に火がつく。暗い中で、その明るさだけがいやに目に付く。祭りの始まりを告げる炎であるにもかかわらず、まるでその名残を惜しむかのように、赤々と辺りが照らされる。

遊び人、仕事人はそのとき、その炎から遠く、暗がりの中で、二人並んでただ立っていた。涙が止まらなかった。



 芋兄、欣爺、ムトが仕事人の下へ来た。彼ら以外に、いや、彼らでも如何に声をかけるかには窮したであろうが、そのときの遊び人、仕事人に声を掛けられるものはいなかった。

どっかいこう。…北高生のいないところ、来ないところがいい。仕事人が言った。

遊び人に声をかけ、とりあえず自転車にのった。誰も喋ろうとしなかった。五人の男が、暗闇に消えていった。



 学校祭二日目が終わった。あの行灯を光らせよう。誰かが言った。夕方、皆がグラウンドに集まり、作業が始まった。想像以上に時間がかかる。辺りがすっかり暗くなったころ、出来た、と声が上がった。

暗がりの中で、たった一基の行灯が輝く。観客もなく、審査員もいない。それでも、いつまでも煌々と輝くその姿は、どこか物憂げで、そして美しかった。



 二年目になっても、相変わらず解体はつらかった。だが、彼ら以上に解体という作業に適した者がいるはずはなかった。それは壊すことではなく、自らの心に刻み付けることであった。







第三章

 2000年。また、年が明けた。そしてまた、彼らは分かれた。芋兄、ムトは一組に、仕事人は三組に、そして、遊び人と欣爺が六組になった。このときも、夏のことが頭をよぎった。



 すぐに、そのことが話題に上った。皆、狙いは大賞だった。一組では早くも話し合いがもたれていた。そこには男子、女子関係なく参加していた。クラスとして題材が決められ、クラスとして計画が立てられていった。皆が多くの情報を知りえたし、何よりそれは、皆がたてたものであった。そして、その先頭にいたのが、芋兄とムトであった。

仕事人は何も言わなかった。責任者決めのときにすぐさまその手を上げるようなこともなかったし、題材、計画についても何も言わなかった。もちろん、誰かに何かを相談するようなことはなかった。消極的に見えるまでの沈黙であったが、彼はすべてを一人で考えていた。責任者となっても、彼は相変わらず好き勝手やるつもりだった。正確には、彼はそうする以外の方法を知らなかった。

遊び人は考えていた。はたして、自分は大賞を手にすることは出来るのだろうか。これは、勝てない勝負なのではないか。彼のクラスには欣爺もいたし、ほかにも技術を持った男たちがいる。一組に比べて、遜色はないはずだ。だが、その考えは、彼の頭にこびりついて決して離れようとしなかった。

彼は、何とか自分を納得させようとした。欣爺は技術者として十分に成長した、責任者の勤めを十分に果たしてくれるだろう。自分はもはや行灯には携わるまい。勝てない勝負を挑んで何になる?…そうだ、受験があるじゃないか。受験勉強をする、自分をだます言い訳には十分だ。



 遊び人は芋兄に言った。今年、俺は行灯に参加する気はない、と。なぜ?自分の心を言葉にしないと決心が鈍ってしまいそうだったから?違う。それならば、芋兄に言う必要はない。六組の連中に言って、納得させないまでも、あわよくば口論にまででも発展させられれば、もっと簡単にすますことができる問題である。

お前はなんだかんだ言って、行灯を作らずにはいられない男だ。芋兄は、ただ、そう言った。その言葉だけで、十分だった。

遊び人の中で、何かがふっ切れた。まるで自分を見透かすかのように、ただ一言そういった芋兄に対する強い感情が湧き起こった。俺をやる気にさせたことを後悔させてやる。何が何でも大賞を取ってやる。



 すべてが圧倒的に早かった。もはや、土台にもテントにも彼らを悩ます要素は何一つなかった。誰もが針金こそが勝負だと知っていたし、如何に早くそこに入るかが問題だった。一組が針金に入り、六組が針金に入り、やや遅れて三組が針金に入った。

夏休みになった。どのテントも、常に賑わっていた。炎天の下、作業が続いた。



 三組のテントには、仕事人一人しかいなかった。彼は、他の人に作業に来いと言うようなことはなかった。彼はもちろん、一人で行灯すべてを完成できるなどと考えるほど傲慢ではなかったし、色塗り、電飾の重要性は身にしみて理解していた。それでも、彼が一人で行灯を作ってみたいと願っていたことは確かである。

仕事人は強く大賞を狙ってはいたが、また、同時に彼は、自分が大賞を取ることは無理であるのも知っていた。一人で行灯をつくろうなどと考え、他の者の協力をむしろ拒もうとするような奴に取れるほど大賞は甘いものではない。一人で好き勝手やり、一切の賞をあきらめるか、それとも、頭を下げ、あるいは一喝してでも他の者を動かし、入賞を狙うか。彼はその間で悩んだ。

ひとつの考えが、彼の頭に、いや、心に浮かんだ。自分はなぜにこんなにも熱心に行灯を作っているのか。クラスの団結?賞という評価を受けたい?崇高なる芸術のため?まさか。どれも違う。どれもこれも彼にとってはどうでもいいことだった。

彼にとって何よりも大切なのは、勝つことだった。誰に?もちろん、彼ら。友として、そして敵として戦うこととなった奴ら。行灯で?いま、勝てないと言ったばかりではないか。違う。たとえ賞などなくとも、彼らに勝つことは可能である。彼らに、あいつには勝てねぇ、と思わせることは可能なはずである。それこそが、彼の思い描いた勝利であった。行灯は、そのための媒体に過ぎない。見ていろ、俺はお前らに、すべてに勝ってやる。



 一組は順調だった。芋兄とムトにはバランス感覚と、二年連続金賞という実績、それに伴う自信があった。彼らはクラスに摩擦を生じさせることもなかったし、針金も色塗りも、最高の状態で進めていった。大方の予想通り、彼らに死角はなかった。

遊び人はそれを知っていた。だからこそ悩んだのである。何がなんでも大賞。そのために、彼はひとつの決心をしていた。

自分は汚れ役に徹しよう。必要なのは、鼓舞、発破、あるいは否定である。去年もとったその手段は、行う側である彼にとっても、そして行われる側にとっても決して心地よいものではない。摩擦、実際にはそんな生ぬるい言葉で片付けられるものではない。もっとドス黒く、致命的なものとなりかねないものである。

きっかけがあった。遊び人は自分を励ました。彼には信念があった。ふざけるな。彼は、心の奥底からその言葉を吐き出した。もはやそれは叫びだった。



 誰もが針金を持って帰り、家で、夜遅くまで作業した。行灯以外には、何もなかった。いかに順調であっても、気を抜くことは許されなかった。



 夏休みがあけた。一組、六組の作業は順調だった。三組が遅れていた。いつの間にか三組のテントには人があふれるようになっていた。仕事人は、うれしかった。

それでも、三組の行灯は完成にはまだ遠かった。誰かが、早朝作業をしようと言った。そうしなければもはや間に合わないように思われた。仕事人にその意思が伝えられた。それはクラスの総意であったが、すべては仕事人の決定にゆだねられた。

仕事人はクラスの全員を集め、皆の前で頭を下げた。ルールを守らせてください。それは彼にとって、目指してきた自分を、勝利を守ることであった。



 遊び人は自分と六組の限界を感じていた。一組には勝てない。それは実感になっていた。

そのとき、ムトが時間外作業をしたという情報が遊び人の耳に飛び込んだ。チャンスだ。ついに、一組を切り崩すきっかけが出来た。時間外作業は減点である。彼は喜びを隠せなかった。ついに、ついに自分が芋兄に一矢報いるときが来た。これで勝てる。俺が一番になるときが来た。

遊び人はここぞとばかりに声を張り上げた。時間外作業は減点じゃねーのか?なんで減点しねーのよ!!減点できねぇんだったらそんなルールなくしちまえよ!!正直者が馬鹿をみてんだぞ!!!

彼は、何が何でも勝ちたかった。減点による勝利であろうとも、それはルールを守った結果である。ルールにのっとった、誇るべき勝利である。勝利が目の前にある、これを逃してはいけない。

そこに、芋兄が現われた。遊び人が食って掛かる。俺は絶対に認めないからな!!!



 ついに彼ら自身の間に亀裂が入った。それは致命的であった。どちらに転ぼうとも、深い傷を残すことは間違いなく思われた。それほどまでに彼らにとって行灯は大きなものだった。かつて彼らを結びつけたものが、いま、彼らを引き裂こうとしていた。



 最後の行灯行列が始まった。誰もが強い思いを胸に行灯を担ぎ、しきりに声を張り上げた。すべての行灯がこの上なく美しく、雄々しく輝き、皆がすべてを振り絞り、そこにすべてを残していこうとする、そんな瞬間に思われた。そこには確かに今までに培われ、費やされたすべてがあった。何もかもが眩く、いかにも美しく見えた。



 一基、また一基とグラウンドに行灯が戻って来ては、その明かりが消える。喜びと、安堵、そして不安。そのすべてが混じりあい、まるで吐き気のように押し寄せる。めまいがする。気を抜くと倒れてしまいそうになる。しかし、行かなくては。

皆が集まり、すでに賞の発表の準備は整っていた。芋兄も、ムトも、仕事人も、欣爺も、そして遊び人も皆、その瞬間を待つ。一年、二年と発表が終わり、賞状が渡される。緊張がますます高まる。

銅賞…ついにその時が来る…七組。声が上がる。溜息?歓声?その両方である。

銀賞…十組。さらに大きく、興奮混じりの声、そしてざわめき。

金賞……沈黙がその時を支配する。誰もが息を飲む。…六組。張り詰めた空気が一瞬にして弾けるかのように、わぁっ、という声が上がる。

大賞……三年一組!!!歓喜、興奮、まさにそれである。皆が立ち上がり、叫びあう。あるものは手を高く突き上げ、あるものは握手を交わした。



 未だその熱が冷めやまぬまま、賞状の授与式が始まる。

金賞、三年六組。遊び人と欣爺が誇らしげに台の上にのぼる。そう、芋兄との一軒以来遊び人にはもう、何が何でも大賞という考えは薄れていたのだ。その下にはクラスの全員が集う。よっ、遊び人!!!観衆の中からひときわ大きな声での歓声が飛ぶ。仕事人である。遊び人はその声のほうへ向かって満面の笑みを返す。

賞状を受け、台から降りた彼らを待っていたのは胴上げである。皆の意思がひとつになる。

行灯大賞、三年一組。芋兄とムトが台に上がる。今度は一組の皆がその下へ集う。大きな歓声とともに、賞状が渡される。そしてまた、彼らも高く、高く、何度も胴上げをされる。





 遊び人が、芋兄の下へ来た。互いに互いの目を見る。彼らは、照れ隠しの笑いを交わし、そして言葉もなく、ただ抱き合った。それだけでよかった。彼らの間には、もはやすべてのわだかまりはなくなっていた。互いに互いを尊敬し、互いに互いを称えた。

誰であろうと彼らを否定できる者はいないだろう。どんな言葉であろうと、彼らを描ききることは不可能であろう。

その瞬間は、まるで完成された一枚の絵のように、ひたすらに美しく、気高く、彼らのすべてを物語っていた。







 誰かが、言った。



過ぎ去ったのと、何もないのとは、まったく同じではないか。

一体、永遠の創造に何の意味があるというのだ。

創られた物は、かっ攫って「無」の中へ追い込むだけのことだ。

「過ぎ去った」、それはどういう意味だ。と。




 確かに、それは「過ぎ去った」にすぎないものである。しかし、そこにはきっと何かがあった。

何が?愚問である。

それを見出せるのは、「過ぎ去った」瞬間の中にいた彼らだけなのである。

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