65th3-8の記録





目次

・はじめに
・製作期間前
・製作中
・行灯行列当日、そしてその後
・たわごと

はじめに

基礎データ

名前:鎧騎業炎ノ狐ヲ断ツ
製作期間:4週間ほど
費用:10~11万ほど
電球:150個ぐらい
材料:一括購入で買ったもの
   その他に塗料(ターナーネオカラー、大)10缶、(ターナーネオカラー、中)2缶、 ガーゼ、奉書紙500枚ほど、スポンジ、針金#10

製作期間前

クラスが変わり、委員会決めの場。二年時の担任に「来年もやるんでしょ?」と言われ「いやーどうでしょうねー」とか答えておきながらいざ責任者決めで真っ先に手を挙げて僕の今年の行灯が始まりました。

メンバーを確認する


まず、どのくらいできそうなメンバーがクラスにいるか確認しました。幸運にも、去年の金賞の責任者や、その時の主要なメンバー、銀賞の責任者である僕とその時の主要メンバーがクラスにおり、なかなか恵まれていたと思います。

デザインを決める


4月の中旬ぐらいに、4~5人で本格的に議論を開始しました。

構図


まず、僕が去年からやりかった、二面の行灯を作ろう、となりました。これがぼくらのこだわり、見どころであり、最後までぼくらを苦しめることとなりました。
そして題材を決める工程に入りました。武者を作りたい、というのは満場一致で決まり、その後に狐→鳥居&巫女のように決まっていったと思います。
題材が決まったこの頃から、ねぶたの画像を見ながら細部を決めていく作業に入りました。(ねぶたは僕が2000年のねぶたを観ていたので動画がありました。)
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そんな初期段階のデザイン(4/19)です。書いてくれたのはもう一人の行灯責任者、絵がうまいなぁ。(彼はのちに巫女を作った人物です。)
一週間ほどで、こうなりました。
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奉書紙を全面に使うこと、少し濃いめの色を使うことは決まりましたが、そこから苦労しました。なにせ物体が五体あるので、各々の色合いと全体のバランスを考えるのが大変です。色に関しては三年やった今でも全く分かりません。ただ、薄い色だと電飾は映えますが迫力に欠けるな、というのはずっと意識していました。ねぶたのような迫力が欲しかったのです。
柄も綺麗さと作りやすさの具合が難しく、過去のねぶた、デザインサイトなどとにらめっこして、シンプルにしました。その代わり、ろうを使おうと決めました。
またグラデーションを使うことも決め、エアブラシを確保し、紙に吹いて、電球を当てるなどの実験もしながら使う場所を決めていきました。

土台・支柱


SketchUp Makeを使って設計しました。木材もこれで測れるので便利です。設計したのは僕で、なるべく物体の骨格となるように建てたため、強度には不安がありました。それでもこうしたのには、針金を作る時どうしても支柱に沿って作ってしまうのを防ぐ、という僕の考えによるものです。体が寸胴になったりするのが嫌でこんな気持ち悪い支柱になってしまいました。
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工具集め

のこぎり、電動ドライバー、金づちがクラスとして、ラジオペンチ類は個人としてあればいいな、と思っていたのですが、クラスの一人の家から大量に工具(電動ドライバー×3、ワイヤーカッタ―×2、ディスクグラインダー、さしがね、はては作業用蛍光灯、墨壺やその他名前もわからぬ工具たちまで)貸していただきました。本当に助かりました。

題名・紹介文


人によって違うと思いますが、僕はこの二つをあまり重視していません。あくまで作った行灯がメインだと思っているためです。なので、題名はクラスで決め、それに合わせて紹介文を書きあげました。重厚な感じを出したくて七五調にして遊んでみたり。

製作中


初日


天候は、雨。なんとか開始されましたが、やはり雨はテンションも落ちるし作業がどうしても遅れるので大敵です。僕もついだらだらと教室にいて他のクラスより五分ぐらい遅れて動きだしてしまいました。いけませんね。この日の動きは、60th3-9の記録に書かれているのと同じような動きでした。

木材が届き次第、どんどんけがいていき、のこぎり部隊に渡していくパイプライン方式でやっていました。

これが最速だと思います。切ったそばからすぐに建てていくのですが、誰かさんがこんな設計をしたため、初日には建て終われませんでした。

二日目以降、一週間目

最初の方は雨が続いた記憶があります。僕らは、二面行灯を作っていたので、普通とは違い、鳥居をまず先にほとんど完成させる計画だったので、針金が終わる前に、少しずつですが3日目から紙を貼り始めました。紙を貼れたということは、きっとこの頃にすでに色塗りを開始していたようです。最初の一週間はほとんど鳥居を作っていた気がします。
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二週間目


鳥居がだいたいできたので、数人に仕上げをまかせつつ、他の部分を3、4人のチームで作っていきます。延々と針金・・・しつつ電飾も少しづつ入れていきます。
針金の大枠はこの頃に完成してました。個人的にはこの辺から顔を作り始めたかったです。
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三週間目


細かい部分の針金(武者の手、鎧、刀、狐の尻尾など)を作り込んでいきます。と同時に紙貼りも進めていきます・・・といいたいとこですがこの辺でどうしてもダレます。細かい部分を作るので、見栄えに変化が乏しく、達成感が少ないからかと思います。なかなか進みません。これの回避方法があったら今でもすごく知りたいです。
紙貼りは、後塗りの部分があったため白い紙を馬に貼っていました。先に塗らないと他の場所に飛散する恐れがあったからです。
電飾も針金の具合を考慮しながら進めます。が、ここで電球の数に悩まされます。鳥居に入れ過ぎてしまったのです。しかし鳥居は紙貼りまで終わっています。これと顔が僕の最大の失敗でした。

四週間目から前日


この辺から顔を作り始めました。遅いですね。結果はご覧の通りとなってしまいました。
針金が終わり紙貼りです。馬に後塗りをしました。
後は貼るだけです。どんどん紙がなくなります。どんどんお金もなくなります。
縁が綺麗になるかな、と思いはさみではなくカッターを使うよう指示した記憶があります。効果は不明です。
先生方の「今年はここか?」みたいなのが伝わってきたときはすごくうれしかったです。いまは少しつらいです。

行灯行列当日、そしてその後


当日


忙しすぎたのかあまり覚えていません。墨塗りを最後の方にやったような気がします。ただ最後まで顔を作っていたことだけは覚えています。当日の午後ともなると、もはや殺伐とさえしてきます。ここらへんで責任者の指示なしで動いていきます。うれしいことでもありますが、全体を把握できなくなるのでもろ刃の剣です。
そんななかなんとか頭を作りいよいよ載せます。僕は中から電飾をやっていました。配線を終え外に出ると
「頭付かなかったからテープでとめたから!!!」
これはちょっと堪えました。でも仕方ありません。出発です。電飾はしっかりつきました。電飾講習会講師としてかなりほっとしました。
行列中は、電気が消えないこと(去年2-6で消してしまいました)、首が落ちないことを祈りながら歩いていました。
無事に全てが終わりました。審査員席で一回転したときの、審査員さんの驚いた表情は忘れられません。
教室に帰る途中、無事に作り上げ、光り、戻ってこれたこと。三年間の行灯責任者もこれで終わりだということ。最後の学祭だということなどが溢れて、教室に入るころには泣いていました。おまけに鼻血も出しました。しかも両方から。すごく貴重な(?)体験をしました。せっかくの感動がものすごく無様になりました。

学祭2,3日目


二日目は、朝に行灯の清掃があり、清掃をとっとと終わらせ首をつけていました。せめて、一般公開には間に合わせたいな、と。

三日目、発表の日。恥ずかしながら自信はありました。銀、金と名前が呼ばれず。緊張が高まります。






大賞。三年七組!!






やっぱりか、とまず僕は思いました。後半、七組の出来には少しマズイな、見た目だけなら負けてるかもな、と思ってました。それでも二面の迫力で押せると思っていましたが・・・でも仕方ありません。上手かったもん。
ただ、烈火賞、同窓会賞のどちらにも呼ばれなかったときは、悔しさより驚きがありました。「そんなひどかったかな。」なんとか旭川にはいけました。


片付けの日は、ぼーっとしていました。写真を撮って、お別れです。企画めいっぱいに作っていたため、首をまた取り外しました。それでも、鳥居がつかえたため、トラックの荷台を閉めると
ばきっ  みんな「うあああああああああああああーーーーー!!!!」
トラックのおじちゃん、苦笑。僕も、苦笑。だってこればっかりはどうしようもないじゃないですか。ただ、大賞の七組が僕らより小さいトラックに押し込まれていたのはちょっとかわいそうでした。

たわごと


出発の時、前のクラスの行灯があった場所を通らなければならなかったので、ビールケースがたくさんありました。誰かがつまずいて行灯が傾いたら大変だと考えた僕は、我先にとビールケースを蹴り飛ばしてゆきました。思いっきり強面で有名な国語の某先生に怒鳴られましたが、こちらも気合十分です。「すいませんっ!!」と叫び返し出発したのはいい思い出です。ビールケースは蹴り飛ばしてはいけません。

三年間責任者をして感じたのは、一つは、責任者はあくまで場を統括する人です。作業するよりは人の能力を見て、上手く配置することに頭を使いましょう。盲点だったのは、他人の能力を測れても自分を測るのはとても難しかった、という点です。僕自身が、仕事を抱え過ぎて(全体指示・鳥居・武者針金・馬色塗り・全ての電飾・顔)いくつかが雑になってしまいました。物事を俯瞰で捉える頭があるといいですね。
二つ目は、計画をしっかり立てましょう。予定通りに進むことはまずありませんが、次にやることがわかっているのといないのでは大違いです。なにもこんなとこまで・・・と思うところまで計画しましょう。行灯の計画期間は一年間あります。作業ができない中で、机上の会議だけというのはとてもつらいですがみっちり立てましょう。

今、行灯を退いて感じていることがあって、それは作る側の思うすごい行灯と、見る側がすごいと思う行灯は、少しちがうのではないかということです。作る側としては、ここ数年続いている、多体づくり(たくさん物体を作ること、の意味で捉えてください、僕の造語です)の流れがあり、どれだけ多いか、量的な迫力がすごさの基準にあり、またそこに作り手としての喜びを感じるような気がします。見る側としては、どこかで誰か(たしか甲乙人さん?)がおっしゃっていたように、一体で、丁寧な、質的に迫力がある行灯がすごいな、と思う感じがします。いざ自分が作業をやるかやらないかでこうも気持ちが変わるとは思いませんでした。ただ、どちらがいいとか悪いとかは分かりません。相反する作り方ですが行灯として魅力があることは同じです。


以上です。ながながと書き連ねてしまいました。どのクラスも、大賞目指してがんばってください。目玉もう少し大きく描けばよかったなあ・・・